「緘黙」の記憶

 場面緘黙の経験者で、現在は大変社会で活躍されている方がたくさんいる、というのはとても励みになります。

 小学校低学年のうちに、かんもく「卒業」となっていても、その当時の記憶が鮮明に残っていていることで、現在、私たちのような活動に協力してくださる方も多いです。

 そんな小さな時の記憶を・・・と普通思うのですが、
逆を言えば、それだけ「緘黙」という状態は、記憶に残るものなんだと思います。

 そういう私も、「緘黙」に近い体験の記憶が今でも鮮明に残っています。

それは、4歳のときでした。

幼稚園で、絵本を作る、という時間だったと思います。
お話を考えて、その絵を描き、字の書けない園児は、先生にその話を声で伝えて書いてもらう
という流れでした。

私は、
「女の子がお花畑で花をつんで、花の王冠をつくる。
それを頭に飾って、家の鏡をのぞいてみると・・・・
なんと、おとなのきれいな女の人になっていました~!」

という、ものでした。
「われながら、すごいものができた・・・」
と4歳児の脳みそでおもっていました。

いざ、先生に書きこんでもらう時
ふと
「『おとなのきれいな女の人になっていました』、という発想に
先生はどんな反応をするんだろう・・・」
とすごい不安になってきました。

順番がきて、「鏡をのぞいてみると・・・」まで話したところで

のどの奥がきゅっと詰まる感覚をおぼえました。

声がでない・・・

「・・・・どうするの?」
長い時間がながれました。
その時の先生の困ったような表情が本当に鮮明に思いだせます。

伝えたいのに声が出ない・・・
どうしようどうしよう・・・

先生はお話を考えてないんだなと判断したのか
「『とってもきれいでした』でいい?」

と聞いてきて、わたしも思わず、コクリとうなづきました。

くやしかった、
全然おもしろくない本になってしまった。
あんなに自信満々だったお話が、つまらないものになってしまった。

その本を開くたびに泣きたくなるような気持ちになっていました。


その記憶が今でも鮮明に残っています。

一時的なもので、これは「場面緘黙」でもなんでもないのだけれど
こういうつらい体験を

ずっと

わが子たちはしているんだなと
思っています。

なので、
小さなころの「場面緘黙」の記憶から
現在、「場面緘黙」の啓発活動などに協力してくださっている方々の気持ちが
わかるし、本当に感謝しています。

ありがとうございます。