子どもから学ぶ
「子どもから学ぶ」
とよく言いますが
歳をとればとるほど、それをひしひしと感じるようになってきました。
突飛な発想と柔軟な適応力
おとなになるにつれて、
そういう力っていうのがなくなる、というか
怖かったり不安になったりで、薄れてしまうのかなと思います。
今、近所の小学校にボランティアでいっています。
場面緘黙の子が感じる「学校」というものを、感じるきっかけになればと思いました。
正直、最初、なんだこりゃ~(笑)と思ったのですが
子どもの目線になって、その世界をみてみると
見えてきたことやわかってきたことがたくさんあります。
おとながちっぽけだ、と思う事でも、子どもの目線にたつと、
それはとても大きなことだったりします
逆に、おとなにとって、なんてひどいことを・・・とおもっても
けっこう早めに解決しちゃったりして、引きずるのはおとなだけだったり(笑)
具体的に書けないので抽象的な書き方になってしまいますが↑
その子、その子の大切な世界をちょっとだけ覗き見させてもらっている、そんな日々です。
そして、
なかなか我が子との関わりからだけでは感じ取ってあげられてなかったな、と反省もします。
うちの息子が虫に興味があるのですが、正直「ふーん」ぐらいでした。
でもいま、心を開いてほしい子がいて、その子が大の虫好きだということがわかり
息子に相談したら、いろいろ的確なアドバイスをいただけました(笑)
いまは私の師匠です。
虫も絵にかいてみると、それぞれに面白い特徴があることに気が付きます。
私もだんだん図鑑がおもしろくなってきました。
そうか、この子はこの世界に夢中なんだ
とわかったとき、
いままで、その子の理解できなかった言動が ふっとひもとけたりしました。
多動などで、先生などの指示に従えなかったり我慢できない子は
「その世界」の夢中を止められない
「止めたい」のに「止められない」
場面緘黙の
「話したい」のに「話せない」
と似てると思いました。
その苦しい気持ちを理解してもらえないときのつらさは共通だと思います。
学校現場の先生方にお願いしたいのは、
授業から「はみだして」しまう子を、どうにかして足並みそろえよう、という対処ではなく
その子のつらさをなんとか解消してあげよう、という視点からの支援を考えていただきたい、ということです。
そして、それは、たぶん「場面緘黙」の子への支援の考え方と同じだと思います。
「指導法」「支援方法」というのは
最初からマニュアルにあるものではなくて、
目の前の子どもにヒントがあって、
そこから作っていくものだと
子どもたちの関わりから、日々、学んでいます。