わたしの「こころの声」

場面緘黙について、ちょっとずつですが
娘と話せるようになってきました。
そこで、
夏休み、読書感想文に、自分の「場面緘黙」について書いてみたら?とちょっと背中をおしてみました。

読んだ本は
「ピアノはともだち~奇跡のピアニスト 辻井信行の秘密~」 (著:こうやまのりお)

 素晴らしいものを書いてほしいというよりも、自分のことを客観的にみつめる、という娘にとっては
けっこう大きめの「ステップ」に挑戦してほしかったのです。


わたしの「こころの声」

わたしは、この本を読み始めてからこう思った。
「けんばんも見えないのにどうやってピアノをひくんだろう。」
この本にたくさん出てきた言葉がある。
それは、「こころの眼」という言葉だ。
辻井さんは、その「こころの眼」を使って、美しいピアノの演奏を聞かせている。
 
わたしと辻井さんには二つの共通点がある。
一つ目は、ピアノをやっていること。
二つ目は、辻井さんは目が「見えない」、わたしは、学校では「話せない」
ということだ。

 わたしは、「場面かんもく」で、家では普通話せるのに、幼稚園や学校では、一度も話せたことがない。
 わたしは、幼稚園に入ってからずっと、「場面かんもく」だ。

小学校に入学してからも、大変だった。いろんなことがあった。
 ある日の朝、学校についてランドセルをあけると、筆箱がなかった。家にわすれてしまったのだ。
「どうしよう」
でも、先生にいえなくて、時間だけが過ぎていった。
 ほかにも、体育の時間、先生が
「4人グループを作りましょう」
といった。
 すると、みんなはすぐにグループを作ってしまった。入れてほしいグループにも、
「入れて。」
が言えなくて、さみしかった。

 辻井さんとわたしがちがうところがある。
 辻井さんの「こころの眼」はピアノがひけるけれど、わたしの「こころの声」は、まわりの人には聞こえない。
 辻井さんの「こころの眼」の「こころ」はきっとうれしいと思う。
 なぜなら、けんばんが「こころの眼」で見えるから。

今、わたしの「こころの声」の「こころ」はうれしいとは言えない。
 なぜなら、「こころの声」は周りのひとに聞こえないから。

 わたしは、この本を読んで勇気をもらった。
「この世の中、いろんな人がいるんだな。」
と思った。
 この本を読んでわかったことは、できる、できないは関係ない。
辻井さんの「こころの眼」は辻井さんに勇気を与えているんだな、と思った。

 いつか、わたしも「こころの声」から「本当の声」になる日がくるかもしれない。


上手な文章ではないけれど、一生懸命自分の「場面緘黙」に向き合って書いてくれてうれしかったです。
すごいがんばったとおもいます。
もっとつらいこともあったろうに・・・。と思うけれど、そこまで向き合うことはまだできなかったんだと思います。
 でも、娘が文字で自分の事を「場面かんもく」と書いたのは初めてだったので、ちょっとドキッとしました。

そんな娘のがんばりを残しておきたくて、こちらに紹介しました。
ちなみに、
娘に、ブログにのっけてもいい?ときいたら どうにでもしていいよ~♪ですって(笑)
強くなったなぁ

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